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東北大学麻酔科

東北大学麻酔科(正式名称:東北大学大学院 医学系研究科 外科病態学講座 麻酔科学・周術期医学分野)は,日本で2番目に長い伝統のある麻酔科学講座である。麻酔科学・周術期医学分野は、麻酔科学の確立を本邦を先導する役割を果たしながら、臨床面では病院中央部門の中心として麻酔科、集中治療部(重症病棟部門)、手術部、材料部の運営をつかさどってきた。研究では筋弛緩薬、人工呼吸、生理薬理学で本邦をリードして世界に情報発信をしてきた。近年は中央部門(集中治療部、手術部、材料部、疼痛管理)の運営の強化、移植医療や複雑心奇形患者の麻酔管理と臨床研究、麻酔関連合併症のゲノム解析と分子生物学研究、重症疾患におけるmicroperticleの解析、神経障害の機序と治療の基礎研究、医療経済およびBigData解析などのデータ研究、デジタルトランスフォーメーションの医学教育への応用を、東北大学における学際的連携とリソースを使って推進している。

当講座の歴史

初代武藤完雄教授(1953(昭和28)年9月1日-1954年)が東北大学医学部に麻酔学講座を開講した(第一外科学と兼任)。本邦2番目の歴史があり、翌1954(昭和29)年5月1日の日本麻酔学会の創設に加わり、同年10月22日に第1回日本麻酔学会(東京)を開催した。現在も最も権威ある和文麻酔雑誌「麻酔」には、1952(昭和27)年4月からの創刊にかかわった。さらに文部科学研究費で総合研究麻酔版を作り、7年間の長きにわたって班長を務めた。

第2代綿貫喆助教授(1955(昭和30)年12月1日-1958(昭和33)年8月)は1954(昭和29)年東京大学福田外科から助教授でありながら麻酔学講座主任として赴任し、翌年12月に教授に就任した。1955(昭和30)年5月18日に麻酔学の系統講義を医学部3,4年生に合同講義として開始し、外科学からの独立に尽力した。本邦の麻酔科の草分けとして1958(昭和33)年、米澤利英が岩手医科大学教授(後に千葉大学初代教授)に、就任した。

第3代岩月賢一教授(1958(昭和33)年10月1日-1977(昭和52)年)は,麻酔科学のみならず日本医学会の巨星ともいわれ、先見の明のある指導のもと多くの人材が育った。外科学から麻酔科学への転換期に麻酔科学の臨床・教育・研究に加え,現在の日本の麻酔科運営の基本を作った。本邦の大学では初めての手術部長(1964(昭和39)年4月1日)および国立大学初の集中治療部長(1968(昭和43)年1月1日)として運営をはじめ,1966(昭和41)年4月18日からペインクリニックも開設し、1970(昭和45)年には医学部附属病院長として病院運営にも貢献した。この間1961(昭和36)年5月1、2日に第8回日本麻酔科学会(仙台)の開催,第1回(1974(昭和49)年)から3回(1976(昭和51)年)までICU研究会(現日本集中治療医学会)開催を開催した。岩月はIntensive Careから「集中治療」という用語を生み、筋弛緩薬とneuroleptic analgesiaの研究では世界をリードした。日本集中治療医学会学術集会では功績をたたえ、年次学術集会で最も優れた講演を意味する「岩月賢一記念講演」を創設している。麻酔科学会においては、麻酔科の独立と麻酔科医の社会的地位の向上に努め、1960(昭和35)年に麻酔科標榜医の制度、1963(昭和38)年麻酔指導医・指導病院認定制度の創設に尽力した。

1963(昭和38年)年に佐藤光男が順天堂大学麻酔科教授に就任(後に東北大学教授)、1966(昭和41)年に奥秋 晟が福島県立医科大学麻酔科初代教授、1967(昭和42)年7月1日に斎藤隆雄が徳島大学麻酔科初代教授、渡部美種が1973(昭和48)年に秋田大学初代教授(後に秋田大学学長)に就任した。1978(昭和53)年に岩月は新設された獨協医科大学教授(後の獨協医科大学越谷病院長)として運営に尽力した。

第4代佐藤光男教授(1977(昭和52)年8月1日-1978(昭和53)年)は綿貫教授の指導で1963年から順天堂大学麻酔科教授に就任中の1970(昭和45)年4月1,2日第17回日本麻酔学会を開催、1977(昭和52)年2月に雑誌「ICUとCCU」の創刊と2月11-12日に第4回ICU研究会の開催し、教授として帰学した。さらなる発展を期待される中、1978(昭和53)年7月22日肝臓がんのため急逝された。

 

第5代天羽敬佑先生教授(1979(昭和54)年5月1日-1985(昭和60)年)は横浜市立大学麻酔科教授から本学に着任した。集中治療部長としても最先端の理論と実践で世界をリードし、とりわけ人工呼吸の研究と臨床では熱心な指導で東北地方に多数の人材を輩出した。1985(昭和60)年4月1日から初代救急部長も兼任、5月17-18日に第12回日本集中治療医学会を開催した。

1980(昭和55)年に鈴樹正大が岩手医科大学第2代教授に就任し、天羽は1985(昭和60)年11月1日請われて母校の東京医科歯科大学麻酔科教授に転出した。

 

第6代橋本保彦教授(1986(昭和61)年4月16日-2001(平成13)年)は、温和な人柄で安定した麻酔科運営と集中治療部長、救急部長および手術部長を兼任した。1998(平成10)年9月25-26日に第4回日本小児麻酔学会を開催した。1992(平成4)年4月1日から開講した救急医学講座には、吉成道夫准教授が5月1日に初代教授として就任し、1999(平成11)年4月1日には「麻酔学講座」から「麻酔・救急医学講座」に改組した。

1994(平成6)年4月1日には岩月尚文歯学部歯科麻酔科初代教授、古賀義久近畿大学麻酔科2代教授を輩出した。2000(平成12)年に山室 誠は疼痛制御科学分野(現緩和医療学分野)の初代教授として,国公立の大学病院として初となる緩和ケア病棟を開設,2003(平成15)年7月25-26日に第37回日本ペインクリニック学会を開催した。仙台市立病院の塩澤 茂は1986(昭和61)年11月6-8日に第6回日本臨床麻酔学会を開催した。

第7代加藤正人教授(2002(平成14)年2月1日-2011(平成23)年)の時期は国立大学の独立法人化と臨床初期研修制度の開始という時代の変化に苦労しながら,臨床麻酔へのニーズ増加を解決するべく奮闘した。2004(平成16)年7月2日、麻酔科の活動範囲の拡大を示す意味と組織改編に伴い、外科病態学講座「麻酔科学・周術期医学分野」に改組改名した。

2008(平成20)年正木英二が歯学部歯科麻酔科教授に就任した。

第8代山内正憲教授(2013(平成25)年4月1日-現在)は麻酔科学の発展を期待されて札幌医科大学から就任し、関連施設とも連携して臨床・研究・教育、そして社会活動を行っている。臨床の安定、教育と研究体制の基礎作り、ワークライフバランスと公平な評価に早期から取り組み成果を上げている。学会などの対外活動はそれぞれの分野でリーダーとなる人材を中心に広がり、山内自身も主要学会の理事を多数務め、2021(令和3)年10月16-17日に第26回日本小児麻酔学会を開催した。

大学病院では2018(平成30)年7月1日に江島 豊が材料部/手術部特命教授、2020(令和2)年7月1日に齋藤浩二が集中治療部特命教授に就任し、大学病院の中央部門で指導力を発揮してきた。外山裕章准教授は移植医療の麻酔の中心として、複雑な呼吸と循環の連鎖した病態管理とそのメカニズム解明に取り組んでいる。杉野繁一講師は麻酔薬の神経系への働きを分子生物学およびゲノム医療の視点で、臨床とリンクした研究を進めている。志賀卓弥講師は集中治療における医療経済およびCOVID-19管理のリーダーとして活躍している。2013(平成15)年に佐藤大三は順天堂大学集中治療部教授として、黒澤 伸特命教授が福島医科大学特任教授に転出した。

運営の基本は臨床の充実で、どのような困難な症例にも対応する「最高レベルの麻酔を全症例に」を継続的に取り組むことであり、それと関連しながら自然な流れで教育目標と研究テーマが設定されている。社会人としては個人の成長とプライベートの充実が組織に還元されることを目指している。

最高水準の臨床と麻酔科学・周術期医学

臨床では2020年から麻酔科管理症例が5,000例を超え、北日本で最多の症例数を誇っている。予定手術枠は7-8列/日だったのが最大14列/日、緊急手術と局所麻酔も含めると常時20列の手術を行っている。その内容も世界の最先端手術や移植医療などの高難度手術、稀有な疾患や複雑な合併症を有していることも多く、麻酔科の進歩が病院全体の発展にもつながっている。

研究は、本邦麻酔科でトップレベルの科研費とAMEDの採択および民間の競争的資金獲得を得て、東北大学における学際的連携も重視して多数の研究が推進されている。肺移植や複雑心奇形患者の麻酔管理理論の構築(江島・外山・齊藤和智)、麻酔関連合併症のゲノム解析と分子生物学研究(杉野・紺野・金谷・鈴木潤・関根)、重症疾患における細胞外小胞の解析(武井・岩崎)、心臓手術および循環管理における3D心エコーをはじめとするモニタリング(武井・鈴木真奈美・熊谷・土肥・尾形)、神経障害の機序と治療の基礎研究(村上・熊谷・齋藤秀悠・鈴木潤)、COVID-19をはじめとする集中治療領域における止血凝固異常とアレルギー反応(齋藤浩二・志賀・武井・岩崎・阿部)、神経ブロックの画像診断法の開発(大西・熊谷)、医療経済およびBigData解析などのデータ研究(志賀・海法・小林・井汲)、麻酔中の脳波解析と予後(鎌田・杉野・間島)、デジタルトランスフォーメーションの医学教育への応用(大西・金谷・矢吹)、医療資材の運用効率解析(江島・外山)、遺体を用いた教育とその効果の検討(大西・紺野・阿部・熊谷)などが行われている。知財の獲得、起業も推奨しており、様々な人材が活躍できる場となっている。

最新の教育システムと社会活動

医学部1年次の早期臨床体験から6年間を考えた麻酔科学教育のカリキュラムを構築している。とくに臨床実習とシミュレーション教育の連携と、XR技術を用いたハードおよび評価方法の開発は、大学全体および企業と連携することで、医学部の枠を超えた完成度の高さと学生の興味を引く内容としている。

卒後教育における麻酔科医の育成には、最も力を入れている。大学病院は困難症例が多いこともあり、若手医師は専門医と麻酔管理を行い安全管理と質の高さを学んでいる。関連施設ではそれぞれの特色を活かした指導体制と豊富な症例で、自律性と手術室のマネジメントを経験している。これらのローテーションに加え、遺体セミナーやDAMセミナーなどのOff the job trainingと多くの講義で、麻酔科専門医とsub-specialtyの資格取得が順調に進んでいる。

青藍会

東北大学麻酔科の同窓会として1963(昭和38)年11月2日に、開講10周年を記念して設立された。「青藍」の由来は荀子の「青出于藍而青于藍」(原文は「青取之於藍,而青於藍」)で,教室ならびに同窓諸兄の「出藍」、すなわち「藍より青く」の如くに弟子が師匠を超えて活躍することを期待している。命名した岩月賢一によると、出典となった歓学篇第一は性悪説の「人間は教育・学問によって変わることができる,だから教育・学問しなければならない。」という教育に関する内容で、師を超えるだけではなく、生来の資質や才能を超えた無限の可能性を掴む「希望」を持ち続けよ,ということを言外に含んでいる。

麻酔科の診療は瞬間的な判断を求められるため、自由闊達な議論を行いながらも互いに敬意を払うことで、自らの限界と先輩を超える「最高の医療」を提供することができる。青藍会の一員として診療にあたることで、医学の進歩に寄与している。

未来に向けた麻酔科学

東北大学麻酔科は目の前の症例に最善の医療を行なうこと、すなわち麻酔・集中治療・鎮痛を高いレベルで期待されているからこそ,困難な症例の管理を依頼されている。研究と教育も本邦の最前線を切り拓き、良き伝統を大切に継承しながら各麻酔科医がそれぞれの立場を活かし,関連施設とともに世界のトップランナーの麻酔科学教室として情報発信をしている。

(文責 山内正憲)

 

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